社長になるまでの道のり

株式会社 若月印刷
代表取締役
若月 孝

昭和48年大学を卒業する頃の時代背景は、学生運動が全国各地に波及し、自分の大学が日本共産党系の「民青」の三多摩地区の拠点校だったため、学園紛争が激しく何度もロックアウト閉鎖になったり、時代が混沌としている時期でした。

4年生の就職を決める時期、父との相談の結果、家業の印刷業を継ぐべく修行を東京で3年間やることになり、縁あって名古屋本社の(株)長苗印刷東京支社にお世話になりました。その当時は、まだ活字・ジンク版の時代で、図書印刷から来られた内山氏から印刷のイロハだけでなく、紙、インキなどの仕入れ、社内生産、外注生産の「原価」を意識した工務管理を教えていただき、今でも感謝しております。

第一次オイルショックの時は、2tトラックに刷本と一緒にポリタンク入りの軽油を荷台に積んで、本社の名古屋まで何度も運んだり、紙を満載したフォークリフトの操作を誤り前のめりになり全ての紙を車道にばら撒いたりしたことが思い出されます。

修行を終え若月印刷に入社した頃は、活版印刷からオフセット印刷への移行時期で、当社も寒河江地区で一番早くオフセット化に取り組み、寒河江地区の販促チラシ獲得などに東奔西走している折、大江町商工会青年部や寒河江青年会議所に入会したものですから、それ以上に忙しくなった時、ある先輩から『それらの団体に入会したのは人に勧められてかもしれないが「入る決断」をしたのは「自分」だから、仕事に全力投球するのは当たり前だが、団体の活動にも全力投球しないと、仲間からあいつに仕事を頼んでも責任感がなくて商売も同じに見られるだぞ』と教えていただいたことを今でも肝に銘じております。

オフセット印刷が順調に軌道に乗り、寒河江地区の大手の販促物の仕事が受注できるようになった頃、父が発注した2世代目のオフセット印刷機の将来性に疑問をいだき断固反対し、小森製の新型リスロンに変更したことが、その後の印刷機導入全てが小森製で小森さんとの縁を感じております。

その後、東京での修行時代に叩き込まれた「原価意識」を導入し、社員一人一人に1分あたりのタイムフィを課し[積み上げ原価]方式で自社の仕事に当てはめると、何と原価割れの仕事が多く、印刷機・前工程の原価償却もままならない価格競争だけの仕事に見切りをつけ、当時、広告代理店が山形にも入ってきており、デザイン企画料が別途掛かることへの理解も広まり、デザイン企画料のいただける仕事にチャレンジすべく、平成元年に寒河江に「PLUS-1企画」事務所を構え、印刷料金+企画デザイン代を分解してお客様にご理解をいただくことに苦慮いたしました。

そんな折、取引会社のある社長様が当社を訪問された時、MACをデザインツールとして山形県内でもいち早く導入していたのを見て、その時のカラーカンプが当時としては目新しく斬新に感じられ、ご自分の店舗のフランチャイズ本部である東証一部上場企業の販売促進担当者に、面談の手配をして下され,カラーカンプを持って行ったところ当時その企業が取引している印刷会社は、業界最大手の大日本印刷、凸版印刷などで、東京地区はアナログの設備が充実しておりMAC導入が遅れていたことが幸いし、これはすぐ製品イメージが沸くし面白いと評価を得て、最初は北日本事業部の仕事が中心で、「企画デザイン」はすべて社内スタッフで業務をこなしていた評価を聞いた関東事業部、本社からも引き合いが来るようになり、今日に至っております。

また、全国展開をしているギフト業界最大手で大阪に本社のある仕事も、コンサルタントをしている友人の紹介で、徐々に広がり今では山形県外の仕事が地元の仕事を上回るようになってきました。

そこで地元での価格競争からは一線を画し、社員たちが必死に顧客の業績向上やエンドユーザーのわかり易い販促物、印刷物、ツールを提案していることに報いる「営業資質」を持った「納得価格」を目指しております。

全国500店舗の仕事をしている中で、さまざまな要求が発生しISO9001やプライバシーマーク認証取得にもチャレンジし、その期待に応えている内に、全印工連で提唱している「ワンストップサービス」に取り組み、一つのデザインソースを使って「販促関係全般」を全国のネットワークを駆使して受注に結び付けており、今では当社のオリジナルになりつつある個人情報処理による「メーリングサービス」や携帯電話の「モバイルプラスワン」前述の上場企業と取引のある全国の印刷会社への「500店舗の基本データ配信」のシステムなどは、外注することなく自社で開発しました。

会社の方針でもある「どうせ苦労するなら、大きい事にチャレンジしよう」を実行した結果であり、ここまでくるには、当社のデザインスタッフ、システム担当者、印刷部門の「大いなるチャレンジ精神」に感謝の気持ちでいっぱいです。

印刷業を目指す人に向けて

印刷業は、昔は不景気にも強い全産業が顧客である珍しい業界であったが、こんにちはパソコン、ネットワーク、インターネットの普及で「一億総印刷人」と言われるほど、誰でもそれらを駆使することで、年賀状をはじめDM、チラシ、伝票などは個人でも会社でも作れるようになりました。

しかし、その業務が社員さんたちが苦労して作ってはいるが,本来の業務をおろそかにして売り上げの減少など業績悪化に向かっていることを、「餅屋は餅屋に任せて、本来の業務に集中して下さい」と言える印刷業界人になれる「人財」を求めていることは当然ですが、印刷という仕事は「クリエイティブ」な仕事である「誇り」を求めているのではないでしょうか。

そんな意味で、印刷業は「サービス業」であり、顧客の困りごとの相談に乗れるような柔軟な感覚を持ち、すべての情報に敏感に反応し「知識」だけでなく「知恵」を発揮できる「人財」を求めています。

 (株)若月印刷

 代表者名  若月 孝  郵便番号  990-1101
 住所  山形県西村山郡大江町左沢105
 電話番号  0237-62-3153  FAX番号  0237-62-3154
 ホームページ  http://www.wakatuki.com

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